韓国・釜山観光「日本統治時代の建物」めぐり

2023年3月19日

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日本統治時代に対してはネガティブな受け止め方をしている韓国ではありますが、日本統治時代の建物など、歴史のあるものは意外と保存されているように感じます。今回、釜山滞在時に日本統治時代の建物をいくつか見てきましたので、ご紹介したいと思います。

臨時首都記念館

この建物は1926年に日本人によって建てられたそうで、現在、臨時首都記念館の展示室として使われている建物は日本の行政担当者が使用、映像室として使われている建物が、慶尚南道の知事官舎として使われていたそうです。

太平洋戦争の終戦後は、引き続き慶尚南道知事官舎として使用されていましたが、朝鮮戦争当時、釜山が臨時の首都となっていた1950~1953年の3年間は大統領の官邸として利用されていました。

奇麗なレンガ造りの立派な洋館でした。残念ながら開館9時前でまだ展示室が開いておらず、集中豪雨のような雨まで降ってきたので観覧はあきらめました。

行き方は簡単で、地下鉄1号線(オレンジ色)の「ToSeong(土城)」という駅で下車し、2番出口から出て通りに沿って50mほど北へ。

路面電車が展示してある交差点に来たら、そこを左折。「臨時首都記念路」という名前の通りだそうです。

この通りの突き当り階段を上がったところが「臨時首都記念館」となります。入場は無料です。

釜山近代歴史館

釜山近代歴史館の建物は、1929年に東洋拓殖株式会社釜山支社の社屋として建設されました。東洋拓殖は日本の国策会社で、朝鮮において地主経営を行っていたそうです。太平洋戦争の終戦後、この建物は米国に接収されてアメリカ文化院となり、朝鮮戦争中、釜山に臨時首都が置かれていた際にはアメリカ大使館としても用いられているそうです。

東洋拓殖株式会社釜山支社の説明板がありました。

昭和初期のオフィスビルらしい重厚感のある造りです。外観は2階建てのように見えますが、中は3階建て。建物中の階段部分などの造りもしっかりしていました。

展示内容としては、釜山港の歴史、釜山周辺における日本による統治、近代化にともなう人々の生活や都市景観の移り変わり、近代以降の韓米関係などについて、解説とあわせて豊富な資料が展示されていました。

「鮮満時間表5月号」とあります。朝鮮と満州との間の鉄道の時刻表のようです。

解説文(日本語あり)は韓国側の歴史観に沿っているので、抵抗のある方もいらっしゃるかもしれませんが、資料は当時の人々の生活を知ることができて、たいへん興味深いものが多くありました。

「電車路線図」です。「温泉マーク」が表示されているのは、いかにも日本らしいですね。

この釜山近代歴史館もアクセスは便利なところにあり、地下鉄1号線(オレンジ色)の「JungAng(中央)」という駅で下車し、7番出口から出て通りに沿って100mほど西へ行けば左手側に建物があります。ここも入場は無料です。

水晶洞日本式家屋

日本統治時代の1943年に釜山市の水晶洞に建てられた日本家屋です。

水晶洞とは、現在の地下鉄「BusanJin(釜山鎮)」駅の周辺を指し、駅からも徒歩約5分ほどでアクセスができる場所にあります。

小原為という資産家が建てた木造2階建ての家屋で、太平洋戦争の終戦後は韓国人の主に渡り高級料亭となり、その後、2007年に国が登録文化財として買い取り、復旧工事などを行って2016年に一般公開に至ったそうです。

お寺か高級料亭といった感じの立派な門構えです。

庭などもきれいに手入れされているようでした。

昔ながらの日本のお屋敷、しかも高級なやつですね。

なんとなく懐かしさをも感じさせます。

庭が見える縁側も立派です。

掃除もちゃんとされていて、古いけど細部まで綺麗です。

歴史を感じる階段で2階へ。

韓国のお茶を購入して一休み。

中に入って見学するだけなら無料です。奥の厨房でコーヒーやお茶が販売されており、自分でトレーに載せて運んでお座敷の好きな席で飲めるようになっています。

雨が降っていたせいか、この日は人が少なくて落ち着けました。

広いお座敷、眺めのいい2階席がお勧めです。

まとめ

以上、釜山にある日本統治時代の建物、「臨時首都記念館」、「釜山近代歴史館」、「水晶洞日本式家屋」の紹介でした。いずれも交通の便のいい場所にありますし、入場料は無料(飲み物は別)ですので、興味のある方は他の観光のついでに是非立ち寄ってみられることをお勧めします。

Have a nice trip!