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九七式中戦車(チハ)は旧日本帝国陸軍の主力中戦車。「チハ車」とも呼ばれています。このチハ車ですが、1938年から1944年にかけて総計2,123輌も生産されたとあって、現存車両が国内外で複数保存・展示されているようです。
日本国内でチハ車の現存車両を見ることができるのは3ヶ所とされていますが、そのうちの2ヶ所が、なんと神社の中にあります。1つは以前当ブログの記事で紹介した靖国神社の遊就館に外観が修復されたチハ車があります。もう1つは今回ご紹介する静岡県富士宮市の若獅子神社に保存されています。
若獅子神社について
静岡県富士宮市上井手にある若獅子神社の付近一帯には、戦時中の1942年から1945年まで、陸軍少年戦車兵学校がありました。14歳から19歳の陸軍少年戦車兵を2年間かけて育成するための学校だったのです。終戦後に廃校となりました。
1965年になり、この陸軍少年戦車兵学校の跡地の一角に戦没同窓生の慰霊・顕彰のため「若獅子の塔」を建立し、続いてその後1984年には、若獅子の塔の傍に、陸軍少年戦車兵の教官、生徒六百有余を祭神として祀る「若獅子神社」を創建するに至りました。
若獅子神社の境内には九七式中戦車(チハ車)の実車が安置されています。機甲部隊の主力としてサイパンで戦った戦車第九連隊所属の車両で、1976年に発見されたものです。サイパン戦で戦死した40余名の少年戦車兵への追悼・慰霊の願いを込め、敢えて修復などせずに、そのまま状態で保存されているようです。
ちなみに、同じく戦車第九連隊所属で、同時期に帰還したもう1両のほうは、現在、靖国神社の遊就館で修復され展示されています。
若獅子神社へのアクセス
若獅子神社への公共交通機関を利用したアクセスはあまりよくありません。可能なら自家用車やレンタカーなどを使って行くのがおすすめではありますが(わたし自身も新富士駅からレンタカーを借りました)、路線バスを使って行く方法もありますのでご紹介しておきます。
JR身延線の富士宮駅で下車します。駅前に富士急静岡バスのバス停がありますので「猪の頭行」のバスに乗車します。平日は1時間に2本程度、土日祝日は1時間に1本程度なので利用される場合には予め時刻表で確認しておきましょう。
バスの乗車時間は30分ほどです。「上井出出張所」というバス停で下車します(料金610円)。ここからは下の地図のように徒歩となります。片道約1.5kmほど、20分程度かかります。往復3kmですから、ちょっと大変かもしれません。
なお、この「猪の頭行」のバスですが、上井出出張所の先は、白糸の滝、まかいの牧場、田貫湖、朝霧高原のほうまで行きます。また、富士宮駅から徒歩圏内に世界遺産で有名な富士山本宮浅間大社などもありますので、時間があればこれらの観光地とあわせて若獅子神社を訪れるのがおすすめです。
若獅子神社の参拝レビュー
若獅子神社の付近に来ると、民家や建物はまばらで、田畑でもない野原のような場所が多いことに気がつきます。陸軍少年戦車兵学校の敷地は若獅子神社の場所を含めて、かなり広大な範囲に及んでいたはずですから、こういった場所も、かつては陸軍少年戦車兵学校の一部だったに違いありません。
対向2車線の道路を進むと、「若獅子神社/若獅子の塔」の文字が書かれた青い看板が出ているので、そこを右へ入って行くと若獅子神社の正面にある広い駐車場となります。さきほどの対向2車線の道路からは神社が全く見えないので、青い看板を見逃さないように注意してください。
神社の正面には真っ白い鳥居が一つ建っています。背景には富士山がそびえていて、なかなか絵になる場所です。
この鳥居をくぐると左手に手水舎があり、鳥居の正面約20m先には社殿が鎮座しています。奇麗な社殿ではありましたが、私が行ったときには扉が全て閉まっており、(防犯上の理由らしいが)賽銭箱も外に出ていない状態でした。残念ですが、お賽銭は捧げることができず、社殿の前でお祈りだけさせていただきました。
ちなみに、社殿に向かって右側には社務所があります。こちらも私が行ったときには閉まっていて誰も人が居ない状態でした。普段は、お守りや御朱印などを授かることができるのかどうか、残念ながら確認することはできませんでした。
社殿に向かって左側には、大きな塔状のモニュメントがあります。「若獅子の塔」です。陸軍少年戦車兵学校の戦没同窓生を慰霊・顕彰するために建てられました。さきほどの鳥居の2倍以上の高さがありそうな高い塔です。
この塔のもとには一体の若獅子の石像が鎮座しています。狛犬タイプの獅子ではなく、ライオンっぽいですね。なかなか勇ましい姿です。
若獅子の塔の更に左側には、屋根の下に九七式中戦車(チハ車)が安置されています。若獅子神社での一番の見どころとなります。
まず一目見てその状態の凄まじさに息をのみました。以前、靖国神社の遊就館で修復されたチハ車を見たときの記憶と比べると、同一車両とは思えないほどの違いを感じました。
ぐるっと周囲を回ってみると、装甲板にある数多くの弾痕や、車体の前後左右に破損していない場所を見つけるのが難しいほどの損傷など、戦闘の凄まじさをリアルに感じることができました。また、赤錆びた車体からは、その年月の経過を感じることができました。
この車両がサイパンで発見されたとき、車内に遺骨が残っていたそうです。きっと、最後の最後まで戦い抜いて倒れた英霊なのでしょう。
この車両を敢えて修復せず、慰霊碑としてこのままの状態でお祀りすることが良く理解できました。最後にこのチハ車の前で手を合わせてお祈りしました。
まとめ
同じチハ車の保存の仕方でも、靖国神社と若獅子神社では全く異なります。いろいろな考え方があって、どちらかが正解で、どちらかが間違いということではないのかもしれません。奇麗に修復して最も輝かしい姿でお祀りすべきなのか、戦い抜いた最後の姿をそのままでお祀りすべきなのか。若獅子神社は後者の考えに基づくものですが、そのままの姿であるが故に伝わってくるものも、確かに感じることができました。
Have a nice trip!