ソウルにある日本統治時代の隠れた史跡「博文寺跡」をご紹介

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ソウルにある日本統治時代の隠れた史跡「博文寺跡」をご紹介
博文寺跡の石段

今回ご紹介する「博文寺跡」は、韓国ソウルにある一流ホテル「ソウル新羅ホテル」の敷地内にあります。ここは旧大韓帝国の独立運動家である安重根により暗殺された朝鮮初代統監の伊藤博文を追悼する目的で建立された博文寺というお寺があった場所です。現在の日韓の国民感情がぶつかるとてもデリケートな部分でもあるのですが、どの立場をとる人にとっても重要な歴史の1コマであることには違いありませんので、敢えて史跡としてご紹介したいと思います。

博文寺(はくぶんじ)について

博文寺は、日本統治時代の朝鮮、京城府(現在のソウル市)に存在した曹洞宗の仏教寺院です。寺院名の由来は、朝鮮初代統監の「伊藤博文」です。つまりは伊藤博文を追悼する目的で建立された寺院でした。

朝鮮に博文寺を造ろうとした提唱者は、当時の朝鮮総督府の児玉秀雄政務総監と言われています。児玉は政務総監に就任すると、伊藤博文追悼を祈念する寺院を造る募金運動を起こし、1932年(昭和7年)10月26日(伊藤博文の23回忌)、奨忠壇公園に博文寺の建立を実現しました。

奨忠壇公園とは、旧大韓帝国に殉じた忠臣や烈士を祀るために、1900年9月に皇帝高宗が奨忠壇という祀堂を建立したことが起源となっています。現在、ソウル新羅ホテルの西隣に奨忠壇公園がありますが、当時は奨忠壇公園が現在のソウル新羅ホテルの敷地まで及んでいたそうです。つまり、博文寺は奨忠壇公園の中の森を切り開いて建立したということになります。

児玉政務総監の意図としては、朝鮮のために尽力した伊藤博文だからこそ、この奨忠壇公園に寺院を建てて追悼したかったということなのでしょうか。現在の韓国の方々の歴史認識や国民感情から考えると、暴動が起こりそうな出来事でしょうが、ネットを検索した限りでは万歳事件のときのような混乱さえも探すことができませんでした。

そればかりか、当時の新聞記事からは、安重根の息子が博文寺を訪問して焼香したことや、安重根の娘も夫と共に博文寺を参拝していることなどが伝えられています。現在と同様にメディアが偏向した記事を流していたとも考えられますが、当時の朝鮮の方々がもつ伊藤博文に対する感情や安重根に対する評価は、少なくとも現在の韓国と同じであったとは言い難いような気もします。

日本統治時代が終了した後、博文寺は米軍に接収され、博文寺は取り壊されました。跡地には1960年代に朴正煕政権の迎賓館が建てられ、その後、迎賓館を受け継いでソウル新羅ホテルが建設され現在に至ります。

博文寺跡へのアクセス方法

博文寺跡の場所はソウル新羅ホテルとなります。地下鉄3号線のドンデイプク駅(東大入口:Dongguk Univ.)で下車します。ソウル新羅ホテルの西には奨忠壇公園を挟んで東国大学校(ドングクテハッキョ)という大きな大学がありますが、東国大学校の略称が「東大(ドンデ)」であるため、駅名が「ドンデイプク(東大入口)」となっています。

地下鉄出口

ドンデイプク駅の改札を出て5番出口から地上に出ます。すると、すぐに朝鮮王朝風の正門が見えます。そこがソウル新羅ホテルの入口であり、博文寺の山門があった場所です。正門を入った場所が博文寺跡となります。駅のすぐそばなのでアクセスは大変便利です。

ちなみに、このブログでは「博文寺跡」を隠れた史跡としてご紹介していますが、現地にはそれを示す標識、看板、説明書などは一切ありません。「博文寺(はくぶんじ)」や韓国語読みの「パンムンサ」で人に尋ねても知っている方に出会うことは難しいかもしれません。実際に迷うことは無いとは思いますが、もし目印とするなら、ソウル新羅ホテルの正門や迎賓館を目指して行くことをおすすめします。

博文寺跡を訪ねてみたレビュー

地下鉄駅の出口から地上に出ると、まずソウル新羅ホテルの正門が見えます。ここはかつての博文寺の山門があったところ。今見ることのできる「迎賓館」と書かれた朝鮮風の正門は当時の山門「興化門」のレプリカです。

博文寺の山門

朝鮮王朝の宮殿の1つに慶熙宮というのがあるのですが、日本統治時代にこの慶熙宮が解体されました。その際、この慶熙宮の門であった興化門が奨忠壇公園に移築され、博文寺の山門として使用されていました。

日本統治が終わった後、博文寺跡地がソウル新羅ホテルとなってからも、この興化門は残されてソウル新羅ホテルの正門として利用されていましたが、慶熙宮の復旧再建が進むなか、1988年に興化門がもとの慶熙宮の場所に戻され、代わりにそのレプリカが置かれているのです。レプリカとはいえ、外観や内装などもよく再現されているようで、博文寺当時の雰囲気を感じることができます。

山門の天井

正門をくぐって振り返ると、横裏側の植込みの中に、石でできた何かの構造物がありました。古いもののようですが、灯篭か何かの残骸なのでしょうか?その正体はよくわかりませんでしたが、博文寺で使われていた何かである可能性もありそうです。

何かのもの

正門を過ぎて車道を渡ると広い車の駐車スペースがあります。ホテル内の道路であるにもかかわらず、車の交通量は多いので車道を渡るときは十分に注意が必要です。そして、駐車スペースの奥には真っ直ぐに伸びる長い石段があります。

石段

これは博文寺で使われていた石段に違いありません。石段の周囲は森が残されており、木々に囲まれた静かな石段を上ると、まさしく寺院にお参りに来た気持ちになります。

石段の上から

この石段を登り切った先には迎賓館の建物があります。博文寺の本堂はこの迎賓館の場所にあったのではないかと思われます。博文寺の本堂は鉄筋コンクリート・二階建て鎌倉時代の禅宗様を模した、近代と中世とを折衷した建築物であったそうです。現在の迎賓館の大きさから推測してもかなり大規模な本堂だったに違いありません。

迎賓館

ちなみに、長い石段が100段で、迎賓館前の階段が8段、あわせて108段になっています。この数字はいかにも、ですね。きっと迎賓館前の階段も博文寺のときのものを使っているのではと思われます。

まとめ

今回はちょっとデリケートなスポットの紹介にチャレンジしてみました。アクセスは便利な場所ですので、興味のある方は是非訪れてみてください。これを機会に日韓の歴史に興味をもってみるのもいいことかもしれません。

Have a nice trip!

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