上海に残る戦跡、日中戦争・第二次上海事変の激戦地「四行倉庫」を訪ねる

2019年8月10日

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日中戦争が本格化するきっかけとなった1937年8月の第二次上海事変。この第二次上海事変における最後の激戦「四行倉庫の戦い」があったのが、上海にある四行倉庫です。

四行倉庫は上海市の中心部、蘇州河沿いに現存し、建物の一部外壁等は当時の姿のまま戦跡として保存されています。また、建物内部は「四行倉庫抗戦紀念館」として当時を物語る資料等が展示されており、一般に無料で開放されています。今回は、このちょっとマニアックな観光スポットである四行倉庫についてご紹介しようと思います。

「四行倉庫の戦い」について

上海市の中心を東西に流れ黄浦江につながる蘇州河。上海の租界時代、蘇州河の北側は水上運輸の要地で、河畔には多くの倉庫が建設されました。そのうちの1つである四行倉庫は、その名の通り「四行=4銀行」である、金城銀行、中南銀行、大陸銀行、及び塩業銀行による出資でできた倉庫だそうです。

租界時代の上海では日本からも多くの居留民と兵が住んでいました。1937年7月の盧溝橋事件後、中国軍の動きが活発になり、日本人が犠牲になる事件が度々発生したことから、日本側は上海の居留民を保護する目的で派兵を決定。上海で日本軍との決戦を準備していた中国軍と衝突することとなります。これが第二次上海事変のはじまりです。

当初、圧倒的な戦力差により中国軍が優勢でありましたが、日本軍も長崎や台湾からはるばる海を渡って爆撃機を送り、上海の中国軍基地を爆撃するなどにより形勢逆転。ついには、中国軍を退却させることに成功しました。中国軍が上海を退却する際に、中国軍の一部は四行倉庫に立てこもり、日本軍による追撃を食い止めました。そのときの戦闘が「四行倉庫の戦い」と呼ばれています。

四行倉庫の戦いは中国では愛国美談として語り継がれているようです。四行倉庫を守った中国軍の守備隊は「八百壮士」として称えられています。終戦から70年目の2015年、戦跡である四行倉庫は、四行倉庫抗戦紀念館として整備されたそうです。

四行倉庫へのアクセス

下の地図のとおり、最寄り駅は地下鉄8号線・12号線の「曲阜駅」、ここから徒歩5分です。曲阜駅で下車し地上に出て、西藏北路という南北に伸びる大きな通りを南側に向かって歩きます。途中で向かって右側の側道に入るとすぐのところに四行倉庫の建物が見えてきます。(側道に入らず進むと「西藏路橋」という橋に行ってしまいますので、ご注意。)

建物はとても大きく、入口がどこにあるか迷うかもしれません。四行倉庫抗戦紀念館の入口は、建物の南側、「光復路」という細い道路に面した側(蘇州河に面した側)にあります。また、無数の弾丸跡が残る当時の壁面を見ることができるのは、入口から少し離れた場所で、建物の西側です。ここはちょっとした広場になっています。

四行倉庫抗戦紀念館の見学レビュー

金曜日(平日)の午後1時頃に入館しました。ちょうど入れ替わりで団体さんが帰ったようで、館内は比較的空いていました。私のほかには、社会見学らしき中学生の団体さんが見学していました。入場無料ではあるものの、一般的な観光スポットではありませんから、個人の観光客は皆無のようでした。中国人好みのフォトジェニックなものも特にありませんし。なお、館内での写真撮影はOKのようです。

館内には、写真や説明パネル、当時の資料などが豊富にありました。ただ、どれも中国語のみで、日本語や英語での説明はありませんでした。ところどころ読み取れる漢字でなんとなく意味を推測する、といった感じになります。

最も興味がひかれたのは、人形を使って当時の戦闘の様子を再現したものでした。

事実に基づいた忠実な再現なのかどうかはわかりませんが、中国軍にとって瀬戸際での戦いであった様子が感じられました。

1時間程度かけて館内を見学した後、外に出て建物の西側にある四行倉庫の壁面を見に行きました。弾丸跡が生々しいですね。相当な激戦だったことを物語っています。

まとめ

今回ご紹介した四行倉庫は観光地としてはマイナーですが、近代史や日中関係に関心のある方には是非おすすめしたいスポットです。第二次上海事変の戦跡としては唯一のものではないかと思います。アクセスも便利ですので、上海へ旅行される際に立寄ってみてはいかがでしょうか?

近代史や日中関係に関心のある方はこちらもどうぞ。

『【中国観光】日中戦争勃発の地、「盧溝橋」を探訪』


Have a nice trip!