東京から日帰りで探訪できる「高句麗」-高麗神社と聖天院をご紹介

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高句麗(こうくり)というのは、昔7世紀中盤ごろまで朝鮮半島にあった国のことです。当時、朝鮮半島には、高句麗のほか、百済(くだら)や新羅(しらぎ)という国がありましたが、663年の白村江の戦いで日本の援軍もむなしく百済は唐・新羅の連合軍によって滅亡し、続く668年には高句麗までもが唐・新羅によって滅ぼされました。その際、百済や高句麗からは王族や官僚など多くの人々が日本に亡命しているそうです。

今回は、東京から日帰りで探訪できる「高句麗」として、高句麗から日本へ亡命した王族かもしれないとされる高麗王若光をお祀りしている、埼玉県日高市にある高麗神社と聖天院とをご紹介したいと思います。

高麗神社と聖天院へのアクセス

高麗神社聖天院は、下の地図のとおり埼玉県日高市にある神社とお寺であり、この2つは隣り合って位置しています。最寄り駅はJR高麗川駅となります。駅からは2kmほどで、歩くには20~30分かかってちょっと遠いのですが、路線バスなどの公共交通手段が見当たりません。覚悟して歩くか、あるいはタクシーを呼ぶのかのいずれかになります。ちなみに、高麗川駅の前にはタクシー乗り場がありますが、普段はなかなか車が来ないようです。タクシー利用の場合は電話やアプリで呼び出すほうがいいでしょう。

東京方面から高麗川駅までは、池袋から東武東上線で川越へ、川越からJR川越線に乗り換えて高麗川駅に行く方法がベストだと思われます。うまく接続すれば池袋から高麗川まで1時間くらいで行くことができます。新宿からなら、西武線やJR中央・青梅線で拝島へ、拝島からJR八高線に乗り換えて高麗川駅に行く方法もありますが、1時間30分くらいはかかるようですので、それほど便利でもなさそうです。

ちなみに、高麗神社から見て西側にある西武池袋線の高麗駅からも3kmほどと遠いですが歩くことが可能です。高麗駅の近くに彼岸花の名所「巾着田」というところがあり、毎年9月下旬ごろに彼岸花の見頃を迎えます。巾着田での彼岸花見物と、高麗神社・聖天院の参拝をセットにして、高麗駅から高麗川駅へ、あるいは高麗川駅から高麗駅へ、というコースで観光するのも面白いかもしれません。2017年に天皇・皇后両陛下(当時)が高麗神社と巾着田に行幸啓されたのはご存知の方も多いでしょう。

高麗神社と聖天院にお参りレビュー

11月下旬の日曜日、少し北風が吹いていましたが晴天、高麗川駅で下車して高麗神社へ徒歩で向かいました。徒歩20分と少々時間はかかりますが、駅前の市街地を過ぎるとのどかな田舎の風景になりますので、天気のいい日にはハイキング気分で楽しめます。道中、ところどころに高麗神社への案内標識はありますが、単純な道ではないので地図がないとわかりにくいと思います。スマホのマップなどで位置を確かめながら向かわれることをおすすめします。

高麗川にかかる「出世橋」という橋を渡って少し進むと高麗神社の大きな駐車場が見えてきます。ちなみに、高麗神社は「出世明神」とも呼ばれており、この高麗神社を参拝後に総理大臣に就任したという政治家が何人もいるのだそうです。出世明神へお参りするための橋だから出世橋なんですね。なんだかご利益ありそうな橋です。

高麗神社で高句麗的なものを探す

正面入り口の一の鳥居。格式の高い立派な神社の風貌です。創建1300年とのことですが、たしかに歴史を感じます。ところで、「高句麗」なのに何故「高麗」と書くのかと気になったので調べてみると、高句麗の後期に正式な国号を「高麗」に改めたとも言われているのだとか。いずれにしても「高麗(こま)神社」の「高麗」は「高句麗」のことを指しています。

一の鳥居をくぐって参道を進み広い境内に出ます。参道から外れた駐車場側の場所に「チャンスン(将軍標)」というトーテムポールのように人面のついた一対の柱があります。韓国で古くからある魔除けのようですが、高句麗時代からチャンスンの風習があったのかどうかはわかりません(あったということなのでしょう。)。見た感じ新しいので、建立年代は最近だと思われます。

参道を先へ進み二の鳥居をくぐって境内へ入ります。境内はとても広くて、この日はバザーのようなイベントが開催されていました。聞いてみると、この場所ではその時期によって様々な催しがあり、高句麗の文化を展示するような催しもあるそうでした(今回は残念)。お参りに行かれる際には、そんな催しをしているのか事前にホームページで調べておくほうがいいでしょう。

続いて御本殿に向かうことにします。さきほどの参道の先にある石段で少し登ったところに御神門。この御神門をくぐって御本殿となります。ここで御神門に掲げている社名を記した扁額に注目です。一瞬、「高麗神社」に見えましたが、よく見ると「高」と「麗」の間に「句」があるではないですか。「高句麗神社」と記されています。ようやく「高句麗」の文字に出会うことができました。高麗神社のサイトによると、明治33年に朝鮮王朝からこの神社に参拝に来た趙重応という貴族の方の筆によるものだそうです。たしかに、「高麗」という名称は高句麗ではなく、後の時代の高麗を指すというのが一般的な理解ですから、「句」の文字を入れたくなる気持ちは理解できそうです。

御神門をくぐって御本殿に入り、拝殿にて参拝。さすが格式高い神社だけあって立派な拝殿です。主祭神は高麗王若光。高句麗から日本へ亡命した方で、高句麗の王族だったかもしれないとされています。ちなみに、高麗神社の宮司さんは高麗王若光の子孫であると言われています。高麗王若光のほか、導きの神である猿田彦命と、長寿にして6代の天皇に仕えた武内宿祢命も祀られています。出世や健康・長寿などのご利益が高そうです。かなりのパワースポットなのかもしれません。

御本殿の横には社務所・授与所があります。御守りやおみくじ、御朱印などは参拝後にここで授かります。ちなみに、御朱印は高麗神社のものと末社である水天宮(後述)のものとがあります。この日は七五三詣の方で混雑していたせいか、社務所・授与所はとても混雑しており、御朱印の番号が呼ばれるまで15分くらい待つことになりました。人気の高い神社であることがうかがわれます。

社務所・授与所前の階段を下りて、トイレの横を通って境内の奥に進んで行くと、古民家が展示・保存されています。高麗王若光の末裔である高麗氏の旧住居だそうで、慶長年間(1596~1614年)頃の建築とされていて国の重要文化財に指定されています。ただ、茅葺きの入母屋造りで純和風な感じです。1600年頃だとすると、高句麗から日本にやって来て800年以上経っているわけですから、生活様式が完全に日本化されていても不思議ではないですね。

そのあとは、御本殿の手前にある山道を登って、小高い丘の上にある末社の水天宮をお参りしました。ちょっとハードな登り道でしたが、丘の中腹から高麗の街並みを見渡せる眺めのいいスポットですので、体力に自信のある方は是非登ってみてください。水天宮から参道に戻り、一の鳥居と二の鳥居の中間くらいの位置に脇道があります。「聖天院への近道」という表示がありますので、ここから次の目的地の聖天院に向かいます。

聖天院で高麗王若光のお墓参り

高麗神社から5分ほど歩くと聖天院の駐車場横に出ます。後で思ったのですが、「聖天院への近道」は、それほど近道でもなかったようです。高麗神社の一の鳥居前の車道(カワセミ街道)に沿って歩いたほうが近かったかもしれません。少なくともそのほうが道はわかりやすいです。

聖天院は、読み方が難しいですが、「しょうでんいん」と読みます。正式名称は、「高麗山聖天院勝楽寺」。奈良時代の751年に創建された真言宗智山派の古刹です。高麗王若光のお墓「王廟」があるので、今回の目的地としています。

さて、聖天院の正面、山門の前には、ここにも一対の「チャンスン(将軍標)」があります。高麗神社のチャンスンに比べるとちょっと小顔な感じ。ここのチャンスンも古いものではなさそうです。しかし、これが高句麗文化であるかどうかは別として、チャンスンのおかげで異国情緒が漂いますし、ワクワク感が高まります。

山門も歴史を感じさせる立派な造りです。その中央には「雷門」と書かれた大きな提灯が吊るされていました。これは浅草の雷門と同じですかね。

山門を抜けると急斜面の石段があって、更にその先に中門があります。石段を登るところの脇には、この先は拝観料300円がかかる旨の標識があります。中門先の境内に入って阿弥陀堂や本堂などをお参りする場合には拝観料を納める必要があります。なお、高麗王若光のお墓(王廟)のみのお参りであれば、先ほどの山門の横にありますので、拝観料を納めずにお参りできるようです。

わたしは折角なので拝観料を払って境内に入ることにしました。石段を登ったところの中門に無人の受付所があり、そこで300円を設置された箱に納める仕組みになっています。ちなみに、その受付所には書置きの御朱印も3種類ほど置いてあります。1枚につき300円を拝観料と同じ箱に納めることで授かることができます。注意点として、ここにある御朱印は、どの種類の御朱印にも日付を記入するところがありませんので、参拝日を記入したい方はご自身で記入する必要があります。

中門をくぐって境内に入ると綺麗に手入れされた広く美しい庭園があります、庭園に向かって右手には庫裡と書院、左手には阿弥陀堂があります。庭園の先の石段を登ると本堂と鐘堂があります。本堂は歴史を感じさせるとても立派な建物です。さきほどの庭園やこの本堂では、高句麗を感じさせるものこそ見つけられませんでしたが、仏教国であった高句麗から来た一世の方々の信仰が今も続いているのだと思うと感慨深いものがあります。

続いて鐘堂のほうへ向かいます。鐘堂は階段で二階に登って、有料ですが鐘をつくことができるようでした。しかし、さきほどの高麗神社の水天宮のきつい山道に続いて、この聖天院でも結構階段が多かったので疲れてしまって、ここはパスすることにしました。

鐘堂を抜けると高麗王若光の石像がありました。足元には「高句麗若光王」と刻まれていました。建立年代は不明ですが、それほど古いものでもなさそうです。姿形が実際の高麗王若光を忠実に再現しているのかどうかはわかりませんが、何となく想像していたイメージに近かったような、そんな感じがしました。

この奥に行くと、在日韓民族慰霊塔があります。「在日韓民族」とあるので、高句麗出身の方々ではなく、近代になってからの在日韓国人の方々の慰霊塔だと思います。

最後に、高麗王若光のお墓「王廟」に向かいます。来た道を中門まで戻ります。中門を出てまっすぐ石段を下りてもいいのですが、石段の左手にある建物のほうへ行ってみます。ここでカブを頂くことができます。たくさんのカブが箱に積まれていて、拝観料を納めて参拝した人は、一人3個まで自由に持ち帰ることができる、と書かれています。持ち帰り用のビニール袋も用意されていますので、頂いていくことにします。後で家に帰って煮物にしたらとても柔らかくて美味しかったです。こういう計算をするのは不謹慎かもしれませんが、拝観料300円ですからカブ1個が100円なのかな、と考えてしまいました(すいません)。

さて、カブを頂いて階段を降り、左手に少し行くと「高麗王廟」と書かれた小さな祠があります。ここが高麗王若光のお墓「王廟」です。祠の中にある小さな石塔が墓石なのだと思います。思った以上に質素で手作り感のある石塔が、故国を失い異国の地で果てることとなった悲運を物語っているように思えました。合掌。

 

以上で、聖天院のお参りを終え、高麗川駅へと向かいました。今回のコースでは、高麗川駅を出て高麗川駅までで現地3時間くらいでした。高麗神社の境内でのイベントを楽しんだり昼食をとったりする場合には、プラス1時間くらい見ておけば十分かと思います。聖天院のほうは拝観料があるからなのか、高麗神社に比べると参拝客はとても少なく、待ち時間などかからずスムーズに回れます。

まとめ

今回は、東京から日帰りで探訪できる「高句麗」として高麗神社と聖天院とをご紹介しました。残念ながら、目に見えるかたちで高句麗をダイレクトに感じることのできるものは少なく、むしろ伝統的な日本の神社文化や仏教文化に接するといった感じになったかもしれません。

しかし、故国を失い、文化や風習の異なる異国の地でそれに順応しながら新しい人生を送ることになった高句麗の方々の苦労、そして主祭神として高麗王若光をお祀りすることで高句麗人であることの誇りを失わずに生きてきた思いなど、自分勝手な想像ですが、いろいろな思いをめぐらすことのできる興味深い旅となりました。

Have a nice trip!